世の中の「普通」が憎い。

世の中の誰かが作った「普通の定義」が憎くてたまらない。いったい、いつからそれが普通と定義されるようになったのだ。そしてそこからこぼれおちた者たちはまるで世の中に存在してはいけないような雰囲気でもある。いや、考えすぎだろうか。否、そんなことはない。

この社会には、確実に「みんなと同じになって初めて一人前、それ以外は許されない、堕落者だ」という空気が流れている。

私はこの社会に適合できなかった。どんなに頑張っても、決して溶け込めない。「普通」のラインに遠く及ばない。だから、社会に対してものすごい劣等感を抱いている。悔しい、ただ悔しい、ちきしょう。普通に生きづらさを感じることもなく社会適合できている人間を見るだけでも腹が立ってしまう。お門違いなんだろうけど、「こんなやつらが今のこの世知辛い世の中を作っているんじゃないか?」などと、思わずにはいられない。

 

思えば新卒当時から、私は「外的な要素」では、何一つ成長を遂げられていないような気がする。実家を出るといいながらも今も実家に寄生しているし、収入も上がっておらず、結婚もできていない。周りが確実にグレードアップしているのが目に見えているから、なおのことつらい。何年同じ場所でもがきつづければ気が済むんだ?

これまで、頑張っても頑張っても報われないことの連続だった。一度は転職して収入アップを目指したものの、もうちょっと?のところで頓挫、やっと頑張れると思った仕事を見つけたら、それは真っ先に自動化される業種だった。副業を始めても、なかなかすんなりと収入が上がるわけでもなく、思わぬ罠にはまり、肝を抜かれた。とてもみじめな気持ちでいっぱいになった。

しいて言えば、今までやったことのない副業にチャレンジしたのは、成長といえるかもしれない。今のところ、周りにはやっている人間を見たことがあまりない。

それにしても、私が何かを手に入れたと思っても、世の中はそれよりずっと速いスピードで動いている。まったくついていけない。うまくいきそうと思ったところで、いつも何かしらの「障害」が入り、振出しに戻ってしまうのだ。

私は社会に見捨てられいるのだろうか。「お前は生きていてはいけない」ということなのだろうか。いや、努力不足かな?

なぜこんなことが続くのだろう。私は幸せになってはいけない定めなのだろうか。

他人と比べるまい、とは何度思っただろうか。しかし、どうしてもできない。それを達成するためには、一生食うに困らない生活資金を手に入れ、なおかつ俗世から完全に離れるぐらいしないと、無理だろう。生きているだけですでに比較だ。こっちが比較したくなくとも、否応なしに世間からは比較されてしまう。常に競争だ。もう身も心もすり減ってしまった。疲れた。もううんざりだ。今すぐこんな不毛なクソゲーは終わりにしたい。

 

最近話題の「反出生主義」について思うこと

近年、特に若者の間で「反出生主義」が叫ばれるようになっているという。私自身、主にネットでこの言葉を見ることが多い。ざっくりいうと、「生まれたことを後悔する」とか、「この世に命を生むのは大変残酷なことだから子を産むべきではない」といった、生物の生存、繁栄本能にまったく逆らった思想なのだ。

あまりにも極端な思想であるため、批判は多い。ほとんどの人間は、この思想に対し、批判的になるだろう。まあ、無理はないかもしれない。子孫を残して繁栄するのが、人間のみならず全生物の義務であるのだから。

 

しかし、他人に押し付けるのは別として、私自身はこの思想「よくわかる」というような気持ちである。

なぜなら、私もこれまでの人生ほとんどつらいものだったし、子供に自分と同じような思いをしてほしくない、という気持ちが非常に強いからだ。この私自身「生まれてきたことを後悔する」場面もたびたびあった。

それに、これからの世界情勢はますます厳しいものになっていくに違いないという確信もある。よほどの革命が起きない限り、生存が厳しくなるのは想像にたやすくない。そっち方面の専門家ではないし、私はかなりネガティブなところがあるから、あくまで想像でしかないけど、まあ、現状を見ている限りは、そのようにしか思えない。そういった世界で子供に生存を強いるのは、大変過酷なことなんじゃなかろうか。

 

日本は「日本に生まれただけでも大当たり、超勝ち組」といわれるほど世界的には恵まれた国なのだが、その日本ですら生きていくのは容易ではないと、少なくとも私は感じている。今は生活保護医療保険、年金制度など制度がかなり充実しているが、これから少子高齢化がどんどん進んでいくと、財政にも余裕がなくなるのは目に見えている。そうなるとこれらの制度も存続も怪しい。

実際、世の中には「無能な奴は消えるべきだ」といった優性思想が当たり前のようにはびこっているし、ネットを見ても弱者に対する心無い罵倒などを頻繁に目にする。冷え切った社会だなあ、と思うことも少なくない。また、テレビをつければ世界各地の深刻な、また残虐なニュースが流れている。

生きているだけでストレスを常に感じることを余儀なくされるような感じだ。もともと繊細な人なら、なおのこと生きづらいだろう。

 

今の若者が未来に対して希望を抱けず、このような過激な思想がはやるのは、以上のような時代背景があるからなんだろう。彼らを責められるものではない。

 

日本に生まれただけで勝ち組、というのも、言いたいことはわかるのだが・・・

 

これ、確かにいいたいことはわかるし、その通りだとも思う。アフリカなどの紛争地帯、隣の国家とも呼べないような独裁国家などに生まれていれば、人権や自由もなければ、そもそも生きること自体ままならない。生まれてすぐに命を落とす可能性が非常に高いといえる。日本みたいな先進国とよばれる国に生まれただけで、相当ラッキーだというのは確かに事実だ。ほぼ生存は保証され、人権も守られ、最低限の教育も受けられ、なおかつ保証も充実しているし、治安も限りなくいいのだから。

 

だがしかし、この日本みたいな国で、「生きるのでせいいっぱい」になっていたら・・・?

私はふと想像した。発展途上国で生きることで精いっぱいになっているのと、日本みたいな恵まれた国で同じ状態なのでは、精神的に大きな差があるのではないか、と。