タイトル「与えられたカード」について

「あなたはどんな人間になりたいですか?」

漠然とした問いかけのようだが、あなたはこれに対する答えをもっているでしょうか。

一言に、どんな人間っていっても、それは職業だったり、性格だったり、特技だったり、いろいろあるものだ。

 

たとえば、「バリバリのビジネスマンになりたい!」とか

     「売れっ子漫画家になりたい!」とか。

 

性格的なものだったら「頼りにされる強い人間になりたい」とか

          「優しい人間になりたい」とか

 

特技だったら「勉強ができる人間になりたい」とか

      「体育が得意になりたい」とか

 

まあ、きりが無いほどいろいろあげられますよね。

 

夢や目標を持ち、それに向かって努力するのは素晴しいことだと思います。

また、それが自分の適性とあっていて、実現したなら、きっと最高に幸せになれるでしょう。

 

しかしながら・・・

私が経験から感じたのは、「人は努力すれば何者にもなれる」わけではないということです。

 

「そりゃそうだろう!」という声があがってきそうではありますが、世の中には自分にはまったく不向きな方面でもそうなれるように頑張る方がたくさんいます。

かくいう私も、そうでしたからね。

 

人間には向き不向きがある。これはもう、どうしようもない「事実」だ

いまさら言うまでもない事実かもしれません。しかし、問題なのはこの「向き不向き」が最初からわかるわけではないというところですね。見極めるには、それなりの経験をすることが必要となってきます。

 

で、不向きなことをできるように頑張ってしまう理由は、以下の二つではないか、と私は考えています。

 

1.自分の適性がまだわからないから

 

2.それができることで人から認められるようになりたいから

 

 1の場合は、まだ人生経験が足りなかったり、やりたいことが自分の未知の分野で手をつけたことがないことだったりで、果たしてそれが自分に向いているのかどうか?がわからないということですね。これだったら、少しやってみて「向いていないな」と思えば意外とあきらめられるものかも知れません。でも、幼い頃からの夢だったり、自分の趣味にしていることを職業にしたい場合だったときは、少し諦めるのに時間はかかるかな。

 

でも、よりしんどいのは、2の方だと思っています。

 

世の中にはいつの時代も「よいとされていること」みたいなものが必ずあります。たとえば、職業にも社会的な地位というものが存在しており、たとえば「医者、公務員、弁護士」などは社会的地位が最も高いとされており、これらの肩書きを持っていると多くの人から信頼されたり、賞賛を得ることが出来ます。また、収入も他の職種より高くなっていますしね。

 

だから、あこがれる人も当然多いかと思われます。でも、向いていない人が目指しても、まったく努力が報われないことになりかねません。もし一時的になれたとしても、長続きしないでしょう。

 

でも、「オレは社会的な地位を得たいし、人より稼ぎたい!だからどうしても目指すんだ」と考える人もいますよね。

夢を持つのはいいことですが、時には諦めることも肝要です。こういうタイプの方々は、自分には不向きとわかっていながらも、どうしても人から認められたい=つまり承認欲求を満たしたいために諦められない人もいます。

 

そんな私も2のタイプで、不向きとわかっていながらも、必死にあることをめざしていました。

 

ずっと「普通の人間」になりたかった・・・泣

 

私は物心ついたときから早くも問題児で、周りからは奇妙な目でみられていたそうです。趣味が他の子とずれていたり、落ち着きがなくてすぐにきれてしまったり。手がかかる子だったようです。実際、校長室に隔離されていたこともあります。

 

小学生頃までは周りの子が仲良くしてくれたし、そんなにしんどさを感じたことはなかったです。むしろこのころは、人目を気にしなさすぎて問題だった。

 

中学生になったとき、周りの子達と同じように友達がつくれず、学校がイヤになってきました。また、周りの子は芸能人やドラマの話、あるいは恋バナでもりあがっているのに、自分は全然興味を持とうともせず、話を合わせることもできない。

だから、この時からようやく「なんだこりゃ、自分は周りと違いすぎる!」と感じるようになりました。その後、どうもクラスにうまくなじめず、さみしさのために大声をあげたり問題行動を起し、周りから気をつかってもらうことを期待しました。

 

でも、そんな人間が好かれるわけもなく、私はますます孤立してしまい、ついに高校生では友達を新たにつくることができないまま終ってしまった。これらの経験を通じて「周りとうまくやるには、他の子と同じようにならないと」と思うようになりました。

 

大学生になって周りが全く違う人間達になっても、全く自分を肯定できない状態が続きました。常に周りからの目線を気にし、変人と思われてないかを気にしていた。また、就職活動でも、自分に自信をもてず、やる気も出せなかったためか失敗してしまい、私は貴重なステータスである「新卒」を逃すことになってしまった。

 

一応非正規という形で仕事は得たものの、嫌な上司にあたってしまったり、今後の人生をどう歩んだらいいのかまったくわからなくなったため、20代半ばで人生に絶望。本気で「死にたい」という気持ちが、衝動的にこみ上げてきてしまったことを、今でもはっきり覚えています。なんかもう、すべてが怖くなっていたのだ。それに、当時の私は「新卒で正社員になる」ことしかまともに食っていく方法はないと思い込んでいたので、それに失敗した自分はこの先ずっと苦しむことになるんだろうな。と考えていた。

 

なんとか自殺は踏みとどまったものの、その後も「自分はどうしてもダメだ、人と同じにならなきゃ」という気持ちは変わらず、正社員への転職活動をはじめるも、うまくいかず。断念し、また派遣社員として別の会社で働くことに。

 

どうしても、普通の人と同じく、他人とうまく接することができるようになりたかった。また、不器用と思われたくなかった。という思いも強かった。

 

私はずっと「普通の人」を演じ続けた。そして、一応それっぽく振る舞うことができるようになった、と思っていたのだ。そんな中、職場のとある男性に

「あなたは他の人と違い、人との距離感もうまくわからない。オレも同じだから、ほっておけない。俺たちみたいな人間が生きていくのは相当大変だ」

という意味合いのことを言われ、このとき、私は我に返ったのです。

 

「私は全く『普通の人』になれていない。どこまでいっても、自分は自分でしかなかったのね」

 

ちょっと悔しくなり涙がでましたが、私はこの経験でやっと気がついたのです。

 

「もう普通の人を目指しても意味がない」

 

実際、普通の人を演じる作業は、辛くてたまらないものでした。それは、全力で「変人である自分を否定する行為」でしかなく、結果、何も報われなかった。

 

人には向き不向きがあるから、自分のカードを把握したほうがいい

 

私がいわゆる「普通の人」を目指すのは、カメがうさぎを目指すようなものだと悟り、今はそれを目指すことをやめました。代わりに、こんな自分だからできること、を探しています。私だって、未だにカードがわからない。だから、できることを積極的にやっていく。

 

誰しも生まれた時からカードをもっていますが、その中身はすぐにはわからないのです。最初の目標が適性と一致していたら、それはかなり幸運なことだと思います。だから、人生において経験を積み、探すしかない。

できることなら、早いうちからアルバイトをやってみたり、いろんな人との交流を持ち、自分の性格を他人に聞いてみたりする経験を積んでおいた方が、早く適性を見いだせるかも知れない。適性を見いだすには、しっかり自分と向き合うことが必要不可欠です。

 

自分にあった生き方を、みなさんにもどうか探して欲しい。無理な方向に努力をするのは、辛いことだから。